仙台市 地下鉄東西線の異常さはココ!公共交通アンケートで明らか
議会が5日に終り、6日.7日は埼玉で開かれた「第47回全国学童保育研究集会」に行ってきました。史上最高の5,802人が参加し、学び、議論し、交流し・・・私も久しぶりに会う人たちもたくさんいて元気をもらって帰ってきました。
学童保育の指導員、保護者、行政の担当者、子ども達、研究者のみなさん・・・実行委員会の合言葉は「ありがとう!あってよかった学童保育」
これまで宮城県からはなかなか参加者が少なかったのですが、今回は沿岸部の津波被災地域を中心に指導員さんたち40名以上が参加。全国各地の学童保育指導員の元気な姿を見て、自分たちの仕事への思いを新たにしたのではないでしょうか。
分科会は、児童館や「全児童対策事業」と学童保育が子どもの放課後の在り方にとってどう役割を果たすのか・・・という難しいテーマで各地の状況を出し合い討議しました。
児童館が小学校区など身近に整備されてきた都市と、児童館がほとんどなく学校の空き教室をつかっての小学生向け「全児童対策」が上から作られている都市。さらに、その全児童対策事業の時間を延長して「5時から学童」的なごまかしをしようとしている都市。それぞれの子どものニーズに合わせて手厚く支援すべきなのに、人もお金もかからないいい加減な施策に置き換えようとする「一体化」はダメと整理されました。
研究集会が16時、草加市にある独協大キャンパスで終わると急いで仙台に戻り、遠刈田温泉で開かれていた「復旧・復興全国交流集会」に駆け付け8日昼まで参加してきました。幅広い課題について10の分科会を開き、各分野での被災者本位の復旧・復興をどう進めるべきか、真剣に話し合われていました。
外は、秋晴れの素晴らしいお天気でした。青い空に、緑の蔵王がくっきり見えました。山頂付近は紅葉がはじまったらしく、少し黄色くなっています。
午前中は川崎町役場で、仙台市・川崎町の広域行政協議会。帰り道は、本砂金経由で秋保に入り、錦が丘に抜ける道で帰ってきました。
途中、思い立って、秋保石神地区にある「藁の家」に寄りました。
落ち着いた店内に、仙台近在のアーティストの作品(絵、陶器、楽器など)が展示されていて、一人でも退屈しません。
いまや名物ともなった、「石臼コーヒー」をいただきました。木の盆の上に小ぶりの石臼、上の穴にコーヒー豆を3粒から5粒くらいづつ入れてはゴロゴロと回転させます。すると、上下の石の間から、挽かれた粉が出てきてお盆にたまります。自分で挽いて、淹れるのはお店の人(まりこさん)に。原発再稼働にストップをかけるにはどうすればいいか、仙台での意見聴取会がいかにひどいものだったか、など語り合ってきました。
大学3年生の長男は部活(バレーボール)のため仙台に残りましたが、あと5人で4月末北海道に旅行に出かけました。まだ、桜や花の季節には一歩早い時期でしたが、気温は仙台より札幌の方が高かったくらい。天気にも恵まれ、ほぼ食べるもの目的の旅行でした。
何食べたかなぁ。千歳空港から出たとたんから、レンタカーを停めるたびにソフトクリーム。札幌でジンギスカン食べ放題。小樽で海鮮のあぶりやきと丼ぶり、スイーツ。旭川では動物園に入ってしまったのでおいしいラーメンを食べ逃しましたが、旭岳温泉でのバイキング。最終日は富良野のワイン工場でチーズフォンデュ。帰る直前、千歳でまた丼ぶり。しばらくは、体重計に乗らないようにします。
オタルで泊まったホテルは、旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物。金庫室も残っていて、小林多喜二が一時期働いていたことも記されていました。
「父親が入院する」というので、正月にも帰らなかったことから、3/26(月)、27(火)で三重県の実家にお見舞いに行くことにしました。1週間はかかると言っていたのに、3日で退院。元気そうなので、ひと安心。
うちの実家は、三重県三重郡菰野町、名古屋から近鉄で四日市に、四日市から近鉄湯の山線にのりかえて18分。名古屋ー四日市が特急30分、急行40分ですから名古屋からちょうど一時間圏内になります。
滋賀県との県境鈴鹿山脈、ご在所岳が迫るところです。四日市に合併されないで、観光とベットタウンの役割をはたして頑張っている町です。
いつもは、実家から出歩かないのですが、車を借りて友達に会いに出かけました。途中、町の道の駅に寄りました。住んでいるときには、何が特産なのかあまり意識しませんでしたが、いろいろあるものだと感心しながら見てきました。電気自動車の充電を無料でできるスポットもあったりして・・・小さい自治体の方がいろいろやれるなぁ。仙台でも、作並温泉をはじめ、もっと自治体が支援しなければならないのに、一向に具体化しないのを反省していました。
青葉区の中でも、宮城総合支所管内は、元の宮城町でこの地域でのいろんな取り組みが続けられています。たとえば新年会・・・他地域では単位町内会、あるいは連合町内会(中学校区くらい)での新年会があります。
宮城地区は、仙台農業協同組合宮城支店、宮城管内町内会長連絡会、青葉区社会福祉協議会宮城支部、みやぎ仙台商工会の4者が主催して毎年新年会が開かれます。これは、旧宮城町時代から続いているとのこと。一度に関係する多くの方々に、新年のご挨拶ができるので私たち議員にとっては、大変ありがたい催しです。
1/7(土)作並温泉の岩松旅館で今年は開かれ、終わった後に温泉に入ってゆっくりしました。市バスで終点の仙台駅まで乗ってみることにして約1時間、料金は1080円。普段は車を運転しているので、周りの景色を眺められませんが、あそこの家にもご挨拶に行かなくちゃ、とかブルーシートを見て屋根の被害がでているところなど、チェックをしながらのバスでした。
写真は 定義太鼓の会のみなさん
職場旅行で会津に行ってきました。昨日(18日)午後に出発して、今日夕方まで・・・車2台のうち1台の運転だったので少し疲れたかナ。走行距離は440㎞でした。
宿泊は湯野上温泉。郡山ジャンクションを過ぎたあたりから、雪がちらつき現地ではすでに圧雪になっていました。日曜の夜なので宿泊客は少なくて、雪が木々にきれいにつきライトアップされた眺めを楽しみながら、お風呂もゆっくり入ることができました。
かやぶき屋根の湯野上温泉駅。ここから、私鉄のみで東京浅草まで行けるのか・・・。
大内宿は、雪は積もっていましたが晴れて店店をのぞいて歩くには良い天気でした。
お昼は、会津出身のすげのさんおすすめのラーメン屋さん「ばんげや」で。太いちぢれ麺と、たっぷりの野菜の味噌ラーメン。餃子もおいしかったです。運転手以外はビールも・・・。
子どもたちは小学校の修学旅行で行く「鶴ヶ城」。私は行ったことがなかったので寄ってもらい、お城の中の展示もじっくり見ました。行くまでは、会津のことは地理も含めて、ほとんど知らなかった私ですが、子どもたちと同じくらいにはなれたか・・・と思います。
楽しい旅行でした。
6/5は、自治体問題研究所主任研究員の池上洋通さんを講師に招いて「大震災・原発事故をどうみるかー地方政治の課題として」学習会を開きました。仙台市議団主催で、約40名ほどの参加者でした。
災害とは人々の生活が「貧困化」すること、基本的人権の危機ととらえることが強調されました。また、災害は、「平時」の格差と貧困の上に起きていることを考えて、基本的人権の回復・保障を復旧・復興の基礎に据える政策を提起することが大切だと学びました。
人々の日常を取り戻す仕事をする地方自治体の役割では、住民の合意を作る、とりわけそれぞれの地域ごとに住民自身が復興プランをつくることをぜひ実現させたいと思いました。そのためには、我々も市民も学び成長する必要があります。
6/6と7は、新潟県の長岡市と柏崎市に、中越地震(2004.10.23)、中越沖地震時(2007.7.16)の復旧・復興について調査に行ってきました。新潟自治研の福島富さんを始め、長岡市議、柏崎市議の皆さんには本当にお世話になりました。「復興支援として被災地救済の支援として全力でコーディネイトする」と力を貸してくれました。(後は別に報告します)
長岡市の旧山古志村では、全村避難から、約7割の住民が山古志に帰った経験と教訓をお聞きしました。復興住宅
仙台市中心部を除いて、ガソリンの供給は平常時に戻りつつあります。昨日(4/4)は、作並・熊ヶ根・大倉方面に訪問しました。地震から3週間、あまり大きな被害のない地域だと思って出かけましたが、地域特有の被害はやはりありました。 一つは、浄化槽の被害です。液状化でしょうか、浄化槽が浮き上がり倒れてしまったお宅や、周りが沈下したようなところがありました。さっそく、市の担当課に問い合わせて、対応策について調べ、被害を受けている方に伝えました。
仙台市では大倉(青葉区)、坪沼(太白区)、福岡(泉区)が被害が大きい地域です。
下水道の整備が費用がかかりすぎて難しい地域に、戸別の浄化槽を設置して下水道利用料相当分の料金を払うことにしています。1154基設置されているうち、約2割が被害を受けています。使用不能になっている18基は今週中に工事にかかり、使用はできるけれど一部壊れているものはそれから順次修理すると市では話しています。
浄化槽とそれにつながる流入・排出管前後1メートルは市の負担で直すことになります。
地震に備えてすばらしい!と思ったのは、定義↕地域の酒屋さんです。30年前の宮城沖地震では、棚からお酒の瓶がたくさんおちて割れてしまったそうです。今回の本震の前数日に、割と大きな地震がありました。その時に、今度は地震で商品を壊さないように…と、下の写真のような対策(ビニールひも2本ですが)をしたそうです。ワンカップが一つわれただけで、あとは無事。ちがうものですね。
でも、せっかく無事だったお酒も、地震とガソリン不足でお客さんがパッタリ来なくなったため売れない…との話でした。私にとっての必需品として、球磨焼酎を一升瓶で買いました。
定義の飲食店、おみやげもの屋さん、三角あぶらあげのとうふやさんもがんばってお店を開けていますが、お客がほとんど来ない。「この状態が、1ヵ月続けば、この地域はみんな干上がってしまう」と口々に訴えられました。
いろいろなこと「自粛」しないで、気晴らしに楽しいこともみんなでしなくては、地域の経済は「自壊」してしまいます。よく訪れてくれる方々は、海沿いの地域の方が多かったそうです。「被災した南三陸町の方が、定義に来てくれた。うれしかった」とお店の人が話していました。がんばって、お店を開けている!とマスコミでも情報発信してほしいです。
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